ワンオクTakaのNEWS時代と脱退の真相|結成秘話と現在の絆
世界的なロックバンドとしてスタジアムを熱狂させ続けるONE OK ROCK(ワンオクロック)のフロントマン、Taka。圧倒的な歌唱力と英語詞を自在に操るボーカルワークでグローバルな評価を確立していますが、彼がかつて大手アイドルグループ「NEWS」の初期メンバーとして活動していた過去は、今なお音楽ファンの間で語り継がれるエピソードの一つです。
本名である森内貴寛(もりうち たかひろ)名義でアイドル界に足を踏み入れ、メジャーデビューを果たしながらも、なぜ彼はわずか数ヶ月でグループを離れる決断を下したのでしょうか。本稿では、当時の貴重な活動実態や脱退の舞台裏、さらには挫折を乗り越えてONE OK ROCK結成に至るドラマティックな軌跡を詳細に紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:Taka(森内貴寛)は2003年9月にNEWSのオープニングメンバーとしてデビューし、メインボーカル格として卓越した歌唱力を披露していた。
- 要点2:活動期間は約3ヶ月。表向きは「学業専念」と発表されたが、背景には二世としての重圧や自身の目指す音楽性との乖離、自立への強い意志があった。
- 要点3:ジャニーズ退所後の挫折とアルバイト生活を経てToruと出会いONE OK ROCKを結成。父・森進一との確執を乗り越え、現在は互いをリスペクトし合う関係を築いている。
【発足の衝撃】NEWSデビュー当時のメンバー構成と森内貴寛の抜擢
2003年9月15日、新高輪プリンスホテルで開かれた華々しい記者会見において、バレーボールワールドカップ2003のイメージキャラクターとして結成されたのがアイドルグループNEWSでした。当時のメンバーは、リーダー格の山下智久を中心に、小山慶一郎、加藤成亮(現・加藤シゲアキ)、増田貴久、手越祐也、草野博紀、錦戸亮、内博貴、そして森内貴寛を加えた計9人体制でした。
この中で森内貴寛の抜擢は、芸能界に大きな驚きをもたらしました。演歌界の重鎮である森進一と元歌手の森昌子を両親に持つ「サラブレッド」という話題性はもちろんのこと、入所からわずか2年足らずという異例のスピード出世だったためです。
当時から彼の歌唱力は群を抜いており、グループのボーカルの柱として大きな期待を背負っていました。歌割りにおいてもサビや高音パートを任されることが多く、デビュー直後からグループの顔の一人として脚光を浴びていたのです。
【活動期間わずか3ヶ月】セブンイレブン限定CD『NEWSニッポン』と当時の活動実態
NEWSの記念すべきファーストシングルとなったのが、2003年11月7日にセブン-イレブン限定でリリースされた『NEWSニッポン』です。バレーボールワールドカップの会場やテレビ中継で連日オンエアされ、疾走感あふれるメロディとともに森内貴寛のハイトーンボイスがお茶の間に届けられました。
しかし、TakaがNEWSとして表舞台に立った期間は2003年9月から同年12月までの実質3ヶ月余りに過ぎません。当時の歌番組や音楽イベント、バレーボール中継のコートサイドでは、笑顔でマイクを握る姿が記録されていますが、その裏では急速な環境の変化と過酷なプレッシャーが彼を取り巻いていました。
15歳の少年にとって、突如として浴びせられた全国規模の注目と、期待されるアイドル像を演じることのギャップは、想像以上に大きな負荷となっていたことは想像に難くありません。
【脱退の真相】学業専念の表向き発表と家庭環境・自立への葛藤
2003年12月、突如として発表されたのが森内貴寛のNEWS脱退およびジャニーズ事務所の退所でした。公式にアナウンスされた理由は「学業への専念」であり、当時通っていた慶應義塾湘南藤沢高等部での勉学に集中するためという説明がなされました。
しかし、脱退の背景には複合的な要因が絡み合っていたことが、後のインタビューや本人の回想で明らかになっています。
第一に、「二世タレント」という色眼鏡に対する葛藤です。偉大な両親の存在は常に付きまとい、自らの実力や個性ではなく「森進一の息子」として評価されることへの強い反発心がありました。また、両親の教育方針は非常に厳格であり、芸能活動と学問の両立を巡って家庭内でも激しい衝突があったと伝えられています。
第二に、自身の求める音楽性とアイドルカルチャーとの乖離です。決められた振り付けを踊り、用意された楽曲を歌うスタイルに対して、次第に「自分の言葉で、自分の音楽を鳴らしたい」というロックへの衝動が芽生えていきました。敷かれたレールの上を歩むことを拒み、自らの足で立つ道を選んだことが、電撃脱退の真因でした。
【ジャニーズJr.時代のエピソード】入所から異例のスピード出世と当時の苦悩
Takaがジャニーズ事務所に入所したのは2001年、当時中学1年生の時でした。入所後すぐにジャニーズJr.内のユニット「J-Support」(後のK.K.Kity)のメンバーに選ばれ、小山慶一郎や加藤成亮らとともに活動を開始します。
当時からJr.ファンの間ではその歌唱力の高さが際立っており、KinKi Kidsのカバー曲などを伸びやかに歌い上げる姿は強い印象を残していました。しかし、その華やかな表舞台の影で、周囲からの嫉妬やプレッシャーに晒される日々でもありました。
有名人の息子であるがゆえに「特別扱いされているのではないか」という冷ややかな視線を向けられることも少なくありませんでした。そうした周囲の雑音をねじ伏せるために歌の練習に没頭し、実力を磨き続けたJr.時代のストイックな経験は、結果として後のロッカーとしての強靭なメンタリティを形成する土台となったのです。
【ONE OK ROCK結成秘話】どん底の挫折からロック界の頂点への軌跡
事務所を退所した後、Takaの人生は激変しました。高校を中退し、実家を出て自立を選択。音楽専門学校に通いながら、渋谷や六本木のライブハウスに足を運び、居酒屋でのアルバイトで生活費を稼ぐという、まさにどん底からの再スタートを切ります。
そんな彼に運命の出会いが訪れます。当時、新たなバンドのボーカルを探していたギタリストのToruが、知人の紹介でTakaが所属していた別のバンドのライブを観劇。その類まれな声量と表現力に衝撃を受け、Takaを熱烈に口説き落としました。
Toruはアルバイト先まで押しかけ、何度も加入を直談判。その情熱に心を動かされたTakaが合流し、2005年にONE OK ROCKが正式に始動しました。リハーサルスタジオに入る時間が深夜パックの「午前1時(One o'clock)」だったことから命名されたバンドは、泥臭いライブハウス回りを経て、日本武道館、そして世界各国のスタジアムを埋め尽くすモンスターバンドへと駆け上がっていったのです。
【現在の関係性】NEWS元メンバーとの交友と親子の和解
激動の青春期を経て、現在のTakaは過去の経歴を隠すことなく、自身の原点として自然体で受け止めています。かつての仲間たちとの関係性も非常に良好です。
NEWSの元メンバーである山下智久や錦戸亮とは、プライベートやSNS上でも親交が続いている様子が度々話題になります。異なる道を選びながらも、エンターテインメントの第一線で戦い続ける表現者として、互いに深いリスペクトを払っています。
さらに特筆すべきは、父・森進一との親子関係の修復です。一時は勘当同然の状態で家を飛び出したTakaでしたが、ONE OK ROCKの武道館単独公演に両親を招待し、ステージから感謝のメッセージを贈ったエピソードは有名です。父・森進一も息子のライブに足を運び、SNSでツーショットを公開するなど、現在はかけがえのない絆で結ばれています。
【ワンオクTakaのNEWS時代】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:TakaがNEWSに在籍していた期間は具体的にいつからいつまでですか?
A1:2003年9月15日のグループ結成発表から、同年12月の脱退発表までの約3ヶ月間です。メジャーデビュー曲『NEWSニッポン』のリリース(2003年11月7日)には参加していますが、翌2004年5月の全国流通シングル『希望〜Yell〜』の発売前にはすでに退所していました。
Q2:ジャニーズ時代の名義や当時の担当カラーは何でしたか?
A2:当時は本名の「森内貴寛(もりうち たかひろ)」として活動していました。初期のNEWSでは現在のグループほど固定されたメンバーカラーの運用は定着していませんでしたが、衣装や立ち位置ではフロントのメインボーカルとして扱われていました。
Q3:ONE OK ROCKの結成にあたってジャニーズ時代の経験は生きていますか?
A3:本人はインタビュー等で、大舞台に立つ度胸やエンターテインメントとしての魅せ方、厳しい環境で培ったプロ意識など、当時の経験が現在の大規模なアリーナ・スタジアムツアーのパフォーマンスに大いに生きていると語っています。
まとめ:挫折をバネに世界を掴んだTakaの軌跡
わずか3ヶ月という短い期間で幕を閉じたTakaのNEWS時代。それは一見すると挫折や寄り道のように見えるかもしれませんが、彼が自らのアイデンティティを確立し、本物のロッカーとして覚醒するために欠かすことのできない重要な助走期間でした。
恵まれた環境に甘んじることなく、自らの意志で茨の道を選び、実力ひとつで世界へ羽ばたいたTakaの生き様は、今なお多くのリスナーに勇気を与え続けています。過去のすべてを肯定し、進化を続けるONE OK ROCKの歩みから、今後も目が離せません。 (出典: taka news 時代(Yahoo!ニュース))